ああお腹が痛い、そして頭の中心をぼやーと常にたたかれている感じです、マキノ環です。頭の中心を打っているのはかなずちではなくてあのお寺の鐘つきみたいな感じです。で心臓よりも頭が低い位置に行くとすごい痛い。人体の神秘。
それもこれもきっと幸福すぎた7日のオンリーの所為だろう?と思うので、なら仕方ない。幸福なばかりでは罰が当たりそうで気持ちが悪いし。
只今絶賛御礼巡り中です。
拙い言葉の限りを尽くしてこの思いを伝えて参ります。それにしても自分のこの語彙力と文章力のなさ、加えて小説を読むスピードの遅さには眩暈がする!でもね、小説はゆっくりじっくり読みたい派だからいいんだー!だってさっと読んでしまったら勿体無いもの。あーー細道いいなあ。。すごくときめく。頂いたり買わせていただいた御本を見るたびに世界中の人々の幸福を祈りたくなるほどに幸福を感じる。ああもう!
今回は現代パラレルだったのもあって、割と飛鳥組がでてくる御本が多くってニヤニヤしてしまう。いいなあ、細道と飛鳥の4人(欲張って天国もいれたら6人)が同じ時空間に存在したら大変なことになる。(私の頭が)
あと、御本を読んでいて思うのだけれど、細道の2人は2人の世界に閉じこもってしまうことが多いから、甘々エンドでも2人のレヴェルでおさまってしまうことが常なんだけれども、こうやって飛鳥組とか他者が介在してくることでなんかもっとこう……客観的に2人って幸せなんだよね!っていうのが伝わってきてうおおおおってなる
例)2人だけのラヴイチャエンド<<<<<越えられないうおおおお<<<<<芭蕉さん芭蕉さん言ってる曽良くんを微笑ましく見守る妹子の「それってほとんど恋じゃないですか」
さて、ご飯が食べられなくなってお粥生活が始まっているのですが、そういえば思春期、殺生に畏怖の念を抱いてご飯を食べなかったというとんだ中二病な時代があったなあと思い出しました。で、そういうの、曽良くんと芭蕉さんも経験していそうだなあと思って……
曽良くんの場合は思春期にいろいろ考える中で他の命を奪ってまで生きていく価値が人間にあるのかとか考えてダメになってそう。人間嫌いっぽいとかあるからなあ。この場合どうやって食べられるようになったのか分からないな。私もどうして今平気で魚が捌けるのか分からないもの。でもこうそこを乗り越えたから食べられる訳じゃなくてなんて汚い生き物なんだ、自分は糞だと罵倒しながら生きている感じ。
芭蕉さんの場合は動物とか大好きだからなんかこう、鶏卵から雛が生まれるのを見たとたんに卵が食べられなくなっちゃうとか。でもそこで「だから感謝していただく」という方向に気持ちを持っていくのだろうところが芭蕉さんの人としての強さかなあと思うのですよね。
どなたかのエッセイか何かで蜂蜜牛乳で生きていくことができたらこれ以上の悪業を重ねずに生きていけるのにというようなものがあった気がする。まあ野菜も植物の命と考えればそれくらいしか人に残された道はない訳で、でも今日も私は蜂蜜牛乳じゃなくてお米とお肉と野菜を接種して生きていくので。けれどそれを全て止めて自分が誰の幸福の妨げにもならないようにひっそりと生きていきたいと願う程に、全世界が愛しく映ったイベントだったのでありました。(そこかよ)
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